新封建主義

本当のことを言えば…一国に閉鎖された社会というモデルは、別に不自然ではない。
そうなのだ。真実を言おう。

少数が土地を買い占め、そこで立場の弱い無産者を働かせ、収穫物を「代替貨幣」にして保有し、必要に応じて売却し、さまざまな財貨を贖うことはできる。

できる。できるのだ。それは立派に、今日の肥大した金融システム(笑)より安定して機能しうるのだ。
始めるには、貧富の差が十分に拡大しさえすればいい。あのこっけいな「理論」も、そこに気づかせてくれるだけの価値はあった。笑うどころか、震えの出る黙示録というべきなのかもしれん。
私達は、封建時代と呼ぶそれ、それは長く、長く続いたのだ。
というか今も続いているのだ。

土地とは何なのか。私はそれを忘れていた。商業施設や住宅、工場用地とばかり考えていた。
そうではない。土地は農場、土地は牧場、土地は多くの小作を抱えた地主の領土。
巨大な市場を必要とせず、限りなく自給自足に近い生活圏を築ける、いわば極小のブロック経済
恐ろしい「おとぎの国」だ。いや我々が生きている、この世界こそが「おとぎの国」なのかもしれないな。
薄皮一枚下には、奴隷制と階級社会とが渦巻いている。

そうだな。愚鈍さの中に真実が。皮肉の中に絶望が隠れているものだ。

あるいはまた別の道もある。
今、私が見る世界には、プランテーションだらけの第三世界は含まれてない。
企業が地主の代わりを務め、生産者団体が怪物として君臨するという…あの恐るべき、だが我々の安楽な生活のために酷使される奴隷の世界。
現実が見えてないだって?そりゃ俺さ。そうとも。

「先進国」だけが国家のとりうる形じゃない。先進国は世界市場の一部にしか過ぎない。

先進国になら通じるかもしれない(という印象だけの)「理論」をクサして喜んでる場合じゃない。