ただ一つを除いては完璧な銃

見事な象嵌を施した銃身、極上のさわり心地をもたらす革張りの銃把。
その銃は完璧だった。ただ一つ、弾丸を発射できないことを除いては。

「殺傷能力については、考慮に入れていませんでした。しかし十分に美しい。美しいだけで十分じゃないですか。武器なんて」

その通りだったかもしれない。誰もがその銃がクソの役にも立たないガラクタだと理解している限りにおいては。銃は町の公民館に飾られ、硝子の箱に納められて…だがある日…

ああバカバカしい
やめた。空っぽ頭で空っぽな心の「エコノミスト」どもに、空っぽの俺がなにを言うべきだろうか。

私はさっさと坑を掘って自分で飛び込み、社会を少しはマシにするのに協力してはどうかと(かつて社会の秩序を司っていた僧侶どもに、誰かがそう呼びかけたように?)言ったりはしない。

エコノミストの呪術のお題目が、どれほど精緻で複雑で巧妙な理論と高邁な思想の上に成り立っているか多少は知っているし、私だってシャーマニズムを「未開」と片づけるような、短絡した思考の持ち主でもない。シャーマンの社会における役割も過少評価しない。

でも私は、霊感商法がうまくいかなかった理由を心霊的に説明しようとする、現代の呪術師、「経済通」どものごたくが、少々ものがなしく、腹立たしいのだ。

いや彼等の努力は分かる。一人前のシャーマンになるために、随分多くを学び、苦行を積んだだろう。古代の聖人の書物、マルなんたらとかケイなんたらとかハイなんたらを必死で読み込んだに違いない。元々IT畑で、独学で経済の知識を増やしたという人には、クシャトリヤ(武士)からリシ(仙人)になったマハーバーラタの登場人物のように、畏敬の念さえ覚える。

だが、もう社会を呪術から解放してやってくれればいいと思う。

呪術がなくなることで、失われる精神世界の奥行きもあるだろう。
人間の心のありようさえ変わるかもしれない。

だが、世界は繰り返し繰り返し、呪術を振り捨てて生きてきた。
彼等が至上のものと信じるこの「経済学」という呪術も、ドルイドのそれと比べたって、チンケな部類に入るし、美しくも珍しくもない。ひとやまいくらの、それもピンからキリまでのキリの方に入る。

ああ世界が経済学に沿ってうごかなくなったら、天が落ちてきて崩壊すると信じているかもしれん。
実はそんなことはないんだ。
そこに捕われていると、あたかも呪術の世界がすべてのような気がしてくるが、実はそうじゃない。

だから、とっととエコノミストは消えてなくなれ、とまでは言えんな。棄教しろともいえない。彼等は「経済通」であることによって、自分をひとかどの人物だと確信しているんで、残酷すぎる。

もうちょっと現実に意味のある理論に修正すれば、とも思うが、そもそも「現実に意味のある呪術」というもの自体が矛盾した言葉だ。

だから放っておくしかないのか。社会がもはやああいう呪術師を必要としなくなるまで。
それはいつだろうな…。

いつまでも来ないんだろうな。経済学という呪術/似非科学が用済みになれば、誰かがまた新しいものを考え出す。そして、信心深いもの、権威がなければ満ち足りないものはやはりそこに群がる。