未成年者の判断力は成人より劣る、ということにする。

未成年者の判断力が一般に成人のそれに劣ることは議論の前提なのではないか
http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2008/04/post_d3f0.html

色々考えたが、答えがまとまらない。青少年保護育成条例には一部反対だ。特に書籍規制。さらにそれを法律で一律規制しようとするにいたってはおぞけがする。そして「大人が、子供に不幸な生き方を選ばせないようにさせる」という態度も腹立たしい。だが腹立たしくても、私はとっくに未成年ではなく、無意味だ。またパターナリズムも現実に犯罪を防ぐためには必要だ、ということにする。パターナリズムの弊害は抽象的すぎて、インパクトのある実例を出せない(というのは言い訳で、私が無知だというのに過ぎない)。

私は、規制をある程度必要悪としつつ、その過剰な権力の行使を抑える役割を小倉先生に期待していたが、難しいだろうか。いや小倉先生は「相手をやっつけたい」という気持ちが強い性格だからネット上の議論では熱くなるが、本当に政府の暴走という事態になりそうだったら、きっと市民のために戦ってくれると信じる。これは皮肉のつもりではなくてだ。そのために、近いうちに規制推進派の中心的な役割を担ってほしい。総務省(だろう?文科省警察庁?)の審議会の委員になるとか。そういう機会があって、私のような一個人に協力できることがあればしたい。

またネットスターのデータベースについての監視や異議申し立てを、規制反対派がしていくべきというのは、確かにそうだ。MIAUが、ホワイトリストの作成をやるとは思わないが。下部組織か協力組織がするのはアリだろう。ボランティアも大事だ。オープンソース開発にかけるような情熱を、こちらの分野にも示してくれる人が出てくればいい。私だって及ばずながら…人格や素行に問題があるからダメかもな。
どんな枠組みにするかは、これはMIAUなどが考えるべき仕事だ。

「現実的」にはそんなところだ。ところで私が内心の自由によって抱いている思想とは、もはや実現は求められないが「すべての情報検閲に反対!」である。

id:mohno 憲法を変えてしまえば、もっと「筋が通る」よ。

【追記】2008/04/20
…それにしても小倉先生が防御的な姿勢を崩さないのは、やはり、ネットごしに言葉をぶつけるばかりだからか。直接あって話をしないかぎり、不信感は消えないのかもしれない。今度シンポなどの機会があれば出向いていって、実名と素顔をさらさなければいけないか。ネットで公開する勇気はないが…せめてそのくらいはすべきかもしれない。

私のような、せこいヤジウマが言うのもおこがましいが、こうして小倉先生に話かけ、批判し、提案している理由は、小倉先生の専門知識が深く、また洞察力が優れていると思っているのと、ネット規制をあくまで「弱者の保護」の観点から唱える気概に打たれてのことなのだが。
こちらが、訴えかければ訴えかけるほど、防御的になっていくようで、逆効果なのか…。

あてにできる人間がどこにいるか分からないから、目に付く優秀な人間に希望を預ける、というのは、一種てまえ勝手で、安易な姿勢なのかもしれない。自分が行動しない代わりに「英雄」に行動を求めるのは…。

この問題について、なにかしてくれ、というのであえば、弁護士を雇うに見合った報酬を、それも長期に支払わなくてはいけいか…私のような貧乏人にはとても…でも複数の人が寄付するような形にすれば…。難しいな。それだったらいっそ議員に対して働きかけるべきなのか…。

【追記】2008/04/21

>> id:mohno ネット規制 じゃあ、(適法な)有害図書自動販売機で売ったり、成人映画を地上波で放送してもよいと。 <<

個人の意見としては、イエス。社会的同意を得るための主張としては、前者は販売店が、後者は放送局が判断することです。「適法」な「有害」図書というのが笑えますね。わいせつ物頒布罪についても思うところありますが、しかしそれはまた別の話。

私自身は、性的にも道徳的にも堕落しきってるので「もちろんエロ漫画やエロ小説は子供によくないが」なんて言うのはうそざむい。小学校高学年のときから親に隠れてハードポルノ小説だのテロリストの伝記だのを読んで育ちましたから、自己を否定することにもなります。
でも私の価値観への同意を他人に強要しても、反発しか生まないのは自明です。人は誰しも「心の理想郷」を持っていますが、どれ一つとして同じではない。

死刑制度をなくせ、とか、青少年健全育成条例を撤廃しろ、とかいっても圧倒的多数が制度を支持している状況では難しい。私が望むのは、現在ある制度がより危険なものに進むのを遅らせること。そして多くの人々が、制度のメリットと共にそのリスクの大きさを認識し、絶えず疑い続けるようになることです。

それと同時に、自分自身の価値観や正義の概念も、疑うことが必要ですね。正直、奥村徹弁護士のブログなどを読んでいると、心底そういうものがぐらつきます。

【追記】2008/04/22

id:mohno

言いたいことがあればコメント欄でも受けますよ。
自主規制ならいいのか。個人的意見としてはノー。でも社会的同意を得るための主張としてはイエス

テレビ放送局が成人映画を流してスポンサーや「よき市民」たる視聴者になんと言われるか。営利企業としての限界や社会のしがらみから抜け出せなんて絵空事。自主規制は「仕方ない」。不都合なものを流さない自由はある。

映画館が「靖国」を放映して右翼や自民党議員にいたぶられるよりは、放映自粛をしたいというのも当然。2ちゃんねるによるバッシング行為を批判して、自分に災いを招き寄せるよりは、目をそむけてブログを更新するのも仕方ない。

かくて暗黙の法が支配する。なんてね。そういう内心に反する「自主」規制なら、勇気を持ち、戦おうと言える。でも、今みたいにメディア自体が権力の共犯者になって、率先して自主規制にとりくんでいるときはどうするのか?
おかげさまで、新聞とテレビはとりあえず新青環法案の対象から外され、ネットや書籍に狙いは絞られてる。それをかわすために自主規制を進めていけば、推進団体にはどんどん警察官僚などが天下っていって、結局は法なき検閲が広がっていく。かもしれない。

権力とは別に、特定の思想が浸透する可能性もある。すでにBPOは、だいぶ「児童ポルノ撲滅」団体になびいたようだし。

残念ながら、自主規制が安全だとはとても言えない。
しかし、ここまで追い詰められて、MIAUなどの規制反対派はほかに選ぶ道がないだろう。
規制そのものを粉砕と唱える個人もいるけど、実際に効果のある活動はしていない(私のようにゴタクを並べてるだけ)。
主義主張の一貫性なんて、強い意志と行動が伴わなければ、何の役に立つのやら。