親はフィルタリングソフト代わりにしないなら…

ネット規制反対派が犯しがちな過ち
http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2008/04/post_0fdf.html
上記エントリーに対する反論。

例えば、親が子供に家庭内暴力を振るっており、学校や地域社会がその問題に関与しようとしない場合、子供が「家出情報」をネットや書籍で収集できなくするのは、正しいだろうか。そのような親のもとに生まれた子供の「自己責任」であり、ほかの子供を有害情報から遠ざけるためには仕方ないのだろうか。議論のすりかえなのは認める。家出は(適切な情報がなければ)もっとひどい結果につながる場合が多いし、子供の自己救済より周囲の大人が何とかすべきことではある。

しかし上記ブログのエントリーでは未成年の独立した人格を尊重していないに等しい、それが腹立たしい。未成年はあくまで二級市民であり、親や教師が判断する幸せこそが、最善の道だという原則に立っている。
確かに「親や教師がフィルタリングソフトの代わりになれ」というネット規制反対派の主張は、受け入れ難いところがある。それは経験に照らして、親や教師が、子供にとって最善の味方であるとは限らないからだ。

そこで考えるのは、フィルタリングを避けられないなら、未成年の代わりにネットや書籍で情報収集を行う、独立の組織なり個人を用意することだ。図書館司書のようなものを想像して欲しい。その窓口を「健全情報」としてネットに置く。あるいは未成年に付き添って、フィルタリングなしの情報検索をさせる人を各地域に置く、というのもいいが、それは現実的に実現するのが難しいだろうか…。

この「司書」は、例えば本物の図書館司書や、弁護士や民生委員、児童委員、保護司が兼任してもいいが、とにかく親や学校とは距離をとって、未成年本人の人格、意志を最優先に考える。
ネットスター社の有害情報基準に縛られず、自己の判断によって未成年に渡してもいい情報を決め、該当するWebページを閲覧できるようにする。また未成年が求める情報について守秘義務を持ち、警察にも学校にも保護者にも伝えない。

…しかし未成年が、自ら検索してリンクをたどることも、本を買うことも禁じられながら、自分がどんな情報を必要としているかを把握し、司書に要望を伝えられるのか。自分の性の悩みや、受けている暴力と直結するような、そんな情報を司書に言い出せるのか?

また司書はどのように未成年の事情を斟酌して、渡してもいい情報とそうでない情報を選り分けるのか。渡した情報によって不測の事態が発生した際、どう責任をとるのか。そのような責任に耐えられるのか。

しかし。未成年を塀の中に閉じ込めるなら、門番つきであっても、どこかに「出口」を設けなくては。
リスクはある。自殺方法の情報を渡して、相手が自殺してしまえば、幇助と見なされるかもしれない。それでも、そのリスクを引き受ける成人がいなくては。

未成年の自由を奪って破滅に追いやるのは、自由を与えて破滅に追いやるのと同じか(私の道徳規準からすれば)それ以上に罪深い。

【追記】2008/04/19
図書館司書にとって最重要な業務の一つでありながら、おろそかにされてきたのが、来館者の要望に応じて適切な資料を案内する「レファレンス」だ。このレファレンスを強化することによって、官製のデジタルディバイドと戦うしかない。

公立図書館は、民間委託や司書資格の形骸化など、さまざまな面で切り崩しにあっているとはいえ、いまだに情報を検閲から守る砦である。

図書館の自由に関する宣言
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jla/ziyuu.htm
は多くの公立図書館で最も目立つところに掲げられている。最も民間委託された場所では、模様替えによって目立たないようにされてきているが…。

また設備の充実度は地域によって差があるとはいえ、インターネットを通してなら、あらゆる地域の未成年が、図書館に情報を求めることができる。
司書と図書館は、その信念によって、同性愛であろうと、宗教であろうと、政治であろうと、社会のタブーであろうと、インターネットから情報を探し、法の範囲内で出来うる限り、そのままの形で未成年に与える仕組みを作らなくては…。

…虚しい夢か。