企業は必ずしも教育のフリーライダーじゃない

昔は企業内学校という給料付きで勉強のできる施設があった。

日本の企業内学校←ほんの一例。

なんの話かっていうと、こちらのエントリで気になる表現を見つけたので。

教育にかかるカネと税金
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090313/1236910305

このうちのid:buyobuyoのコメントが気になるな。

俺の親族の1人は某Tという電機屋企業内学校出身。東北日本海側某県南部の農家に末っ子として生まれ、技術者になる方法として最もたやすかったのがCompany Schoolに入る道だった。自衛隊の方が待遇はいいが、技術は身に付いても除隊後の差別があるからな。パイロットとか、よっぽど特殊な道を選ぶのでなければ、貧乏人にとってさえ敷居が高かった。今もかな。

輸出がしぼむこの国で、企業がもはや一定の教育水準の人材をかつてほど必要とせず、管理者と、安価に使える非熟練の単純労働者をこそ熱心に求めている現状を踏まえると、企業に向かって「優秀な人材を失ってもいいのか」と叫ぶのは有効な戦術ではないのかもしれない。なぜ日本で企業内学校が衰えたのかを考えてみると、むろん所得水準が上がったからもあるが…もう必要とされていないという面もあるのだ。

ところでトヨタはインドにCompany Schoolを作った(記事報道発表)。トヨタがある種の「文化移植」を試みているのは間違いない。ちゃんとした目算はあるが、かつての良風を懐かしむ気持ちが後押ししたのではないかと邪推する。

企業はそれなりにセーフティネットに貢献してきたのだ。志もあった。
なにがいいたいかというと「最初からやる気がなかった」のと「かつてはやる気があったがもうない」は違う。後者の方が深刻。そのことは考えておく必要が有る。

【追記】2009/03/13
それから、大企業の私立校への寄付はけっこう多額である。たとえば電機屋を抱えた某財閥系の企業グループMが、東京都のM市のS学園(ポンポン痛い元首相の卒業したとこ)にちゃんとお金出してくれてるので、アソコはあんな地価が高い土地でやってるのに、かなーり助かってる。ん…あんまり貧乏人には縁がない話か…。

民から民への寄付はあいだに「官僚」という名の中間鎖搾取者がおらず、効果的に資金の投入先を選ぶことができ、使途を把握しやすいという意識から、税金で納めるくれーならメセナしてやるよファック!っていう豪気な企業は多かった(過去形)…今日では日本私立学校振興・共済事業団を通す必要があるらしい…うへ…中間搾取のニホヒがするな。この事業団を通すと、寄付金を会計上の損金として扱える、ようだ。実績については、もう面倒くさくて調べたくないんだぜ!

個人的には「恵んでやろう」「オレいいことしてる」みたいな意識が(企業自体はそんなつもりはなくても)気に食わないし、寄付の偏りも腹立たしいし、いやったらしい癒着も無視しがたいが、ぶっちゃけ私学助成やってる官僚連中の「オレのカネをしょうがなく分け与えてやってる」風の物腰はどうよ?いや官僚だけじゃねー。選挙で選ばれた首長だの議員だのもそうだよなー?正直、立法も行政が腐りきってる現状で、企業より中央省庁や外郭団体、自治体のカネの使い方が適切たー俺は言えないね。まぁ、くだんの事業団もちと香ばしいがなぁ…。

だいたい、さかのぼれば、企業や豪商がカネを出さなきゃいまの帝大のいくつかは存在しなかったんだZE。
とにかく、エスタブリッシュな企業にむかって「あなたは日本の教育に貢献しないのですか?それで優秀な人材をとるのは不公平ではありませんか?」とか質問したら、したり顔で実績を山と重ねてくるに決まってるんだZE!

【追記】2009/03/15

id:yellowbell企業 各論で言えば、企業内職業訓練校や創業者奨学金などでたしかに企業も教育の一環を担っている。しかし企業の社会的責任の優先順位が、生き残るための緊急避難と言いながらここ数年で著しく下がっているのもまた事実。 2009/03/14 CommentsAdd Star
id:buyobuyoお返事 うーん、多少はやってますって感じにしかならんような。 / 小学校からの初等教育からまるっと企業は実際には利用しているので高校とか大学とかだけだとあれだ。

分かってないな…CSRという魅力的なオタメゴカシは脇に置いて、企業にとってもはや、現在の高校進学率9割超、大学・専修学校進学率7割弱という状況を維持するメリットはない、って言ってるんだ。一番しっかりと受け止めてほしかったのは、すでに大企業が国内の企業内学校を縮小する一方で、インドやブラジルなどで新たに設置を始めたという事例が象徴するもの。もはや大企業が「国産」のコスト高な技術者、熟練労働者をさほど大量に欲してないという事実なんだ。
ある種の時代の流れみたいなものを把握してもらいたいのだが、企業内学校が全盛だった時代、若者は文字通り「金の卵」だった。彼等に一定の教育を施し働いてもらえさえすれば、間違いなく企業にとっての利益だった。だからこそ企業は「企業社会主義」と呼ばれるほど手厚い制度を設けて、労働者を守った。今はまったく違うのだ。これから先…どこか米国に代わる消費の中心地が見つかって景気が回復したと仮定したとしても、企業が日本の教育に貢献するメリットは少ない。日本の子供1人にかける費用でインドでは100人の技術者、労働者が手に入る。そういう時代なんだよ。

確かに日本企業にとって日本人の「管理者」は必要だ。最先端の技術を開発する日本人の技術者や、その下支えとなる科学者がぜんぜん要らなくなるなんてことはない。でも高卒、大卒の多くは、そうしたエリートではない。主に労働者として生きてきた。それはもう要らない。どんどん要らなくなるんだ。
高校進学率は50%でも…40%でもいい。大学進学率ももっと低くていい。企業がそう「判断する」ってことじゃない。要するに正社員として高卒者を何人とるか、大卒者を何人とるかという話だ。ぶっちゃけ一定程度、資力や資産のある層が子供に教育を施し、学者や管理者を輩出してくれればいいんだ。もちろん貧困層から際立って能力の高い人材を引っぱり上げる努力は続けるだろう。しかしすべてではない。全員ではない。「国民総中高学歴者」という必要性はもはやない。

多少優等生の企業があるからといって企業が教育のフリーライダーであるという一般論がひっくり返るわけではないんじゃね
http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20090314/p1
そもそもにおいて、極一部の志のある企業が、高等教育の幾分かを、極一部の社員の分だけ肩代わりしたからといって、「企業がフリーライダーでは必ずしもない」というのはどうか?極一部の事例は、一般論への反論にはならない。労働者の70%はそういう施策が取れない中小企業に勤めているわけで、極一部の大企業の出した金で、中小企業のただ乗り分がまかなえるわけがない。俺の一般論はいささかも崩れないように思う。

多分、俺がいけなかったんだろうな。タイトルにはこう書くべきだった。企業は必ずしも教育のフリーライダーじゃ「なかった」

企業内学校もまたかつて、ごく一部のものでは「なかった」。産業史の分野では統計上のデータもあると思うが、その時代を生きた人にとって、割とありふれたものだったそれを、それを知らない世代に向かって、あらためて証明しなければいけないというのが辛い。個別の事例ならすぐに挙げられるが。例えばサンファインという紡績会社が工場で働く女工向けに愛知に作った企業内学校として、今の誠信高等学校があるが、当時、紡績会社が女工向けに学校を作るというのは、わりと一般に行われていた。サンファインは紡績業界では有名だが、決して「大企業」という訳ではない。「多少優等生の企業が…」といったものではなかった。当時の企業の一般的な風潮、かくあるべしという流れであって、しかも企業の利害と一致した。それは国の団地が足りない部分を、企業の社宅が補うというような、公的制度の穴を埋める仕組みだったのだ。日本の社会保障は、多くの部分を企業が担ってきた。余裕があるうち、それが企業にとって負担より利益をもたらす時代にはそれでも良かった。

今は、もう企業内学校を維持するつもり「さえ」ない。この状況で、中小企業に中等教育…さらには初等教育の負担をしろってのは相当な工夫がいる。
フリーライダー」呼ばわりはいただけない。どの自治体の小中学校を掘り返しても、企業から寄付を受けたところが学区内に1つや2つでは利かない。

さてCSRに戻ろう。それが企業にとって利益になると分かっているときに、企業に善行を求めるのはたやすい。まさに企業内学校がそうだったように。しかしそれがもはや企業にとって利益にならないと分かっているときに、CSRという言葉と倫理のみに訴えるなら、企業はこれまでの実績を盾にし、そして苦境を矛にして要求を追い払うだろう。もし、「フリーライダー」という非難に対し、「じゃぁフリーライドは減らすようにしますね。日本の労働者こんなにいらねーもん」という対応をとられたら、どうすんの。というかそうなりつつあるので、もっと違うアプローチがいると思うお。

それから、設備投資の力を欠いた中小企業、苦しくなってまっさきに企業内学校から撤退したような企業をフリーライダー呼ばわりするのもどんなものだろうね。大企業よりさらに余裕のない連中だ。そして中高学歴者と同じように中小企業もまた、大企業が生き残るうえで切り捨てられ、消滅していく存在だ。国内の中小企業の多くは、特定の大企業を取引先としており、事実上の親分子分の関係にある。これらは下請けとして日本の雇用を支えてきたが、「高コストな日本人労働者いらね(個人の切り捨て)」と同じように「高コストな日本の中小企業いらね(組織ごと切り捨て)」という形で、きれーに倒産してきている。ヒトがいらなくなるということは、そのヒトの集まりである企業も、ある程度いらなくなるってことだ。特に地方の雇用を担っていた中小の製造業がバタバタつぶれてるのに「あなたがた、優秀な労働者を負担もなく仕入れて、ずいぶんだと思いませんか?」なんて尋ねたとしても「うん。でも今月でこの県の工場閉めるから。今までお世話様でした」ってな話である。


とはいえ、日本において、労働集約型の成長産業があるなら、「あなたがた優秀な人材がたくさんほしければ相応のカネ払ってください」という主張も効果をもちえるかもしれない。どこにタカるべきだ?介護か?農業か?医療か?