ニセ科学批判・批判の方向性

重たく考えずにいこう。特にニセ科学批判・批判者は。気後れせずに。ゲームのつもりで。

我々の周囲にある「ニセ科学批判・批判」をおおまかに分け、「ニセ科学批判そのものを止めちまえ」と「やり方を変えろ」にまとめると、私の意見は後者に属する。さまざまな面で前者の「止めちまえ」に共感するが、ニセ科学による詐欺が横行していて、特に医療分野に不安を感じており、対策の必要を感じている。

立場を整理したところで、トラックバックのあった記事にも触れたい。

ニセ科学批判の効果についてとか色々
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-e96a.html

ニセ科学批判の「効果」をどうとらえるか
「効果」は、ニセ科学批判者がその活動のはじめから議論すべきだったし、すでにいくらか方法論が確立していてもおかしくはない。しかし実際はニセ科学批判・批判の側に投げ返されたのであり、答えを再び質問にして返す訳にもいかない。例えば官公庁が普及啓発の活動を行う際は、定期的アンケート調査を組み合わせ、認知度や理解度の推移をみるのが一般的だ。まぁ役所の調査たるやその実態はヒド…いや私はとりあえずアンケート調査の体制が整えば、十分だと思う。あとはサンプルをどう集めるか、どのように質問票を作成するか、という技術的な問題に向かう。これは調査会社なり、安く上げたいなら我々自身が検討していけばいい。必要なら「アンケート調査の進め方 (日経文庫)」でも読んで勉強するさ。てかニセ科学批判者にマーケターぐらいいねぇのかYO。質問項目は「Q.ニセ科学擬似科学)という言葉を知っていますか」「A1.言葉を知っており、意味も説明できる、A2.言葉だけは知っている、A3、まったく知らない」という感じ。あるいは「Q.”水からの伝言”についてどのようにお考えですか」→「A1.科学的根拠がなく、問題を感じる、A2.科学的根拠はないが、問題は感じない、A3.科学的根拠はあり、有意義だと思う、A4.上記には当てはまらない」とかね。ちなみにマスコミが調査結果から記事を起こすときは、「水からの伝言”科学的根拠ある”53%、ニセ科学の浸透鮮明に」とかって書く。認知度の推移と、ニセ科学批判の相関をとりたい場合は、「あなたはニセ科学という言葉をどこで知りましたか」「新聞、テレビ、ネット、友人から」とか「このような活動をご存知でしたか」などの設問を入れる。
ネット上にあふれている代表的なテキスト
これが学問だったら…中心となる論文を最新の研究成果をもとに批判し、止揚に達して次の段階へ。そして初学者のための概説書を時宜に応じて改訂し、さらに砕いた入門書を出す。そのような文献を教授や講師がさっと挙げられないなどあり得ない。文献を巡る評価がどうあれオーソドックスは当然存在する。さて、これもニセ科学批判・批判に投げ返されたので、ばっさり、菊池誠教授の文章でいい(http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/nisekagaku/)。ニセ科学批判者にやる気があるなら、いやもっとふさわしいものがある、こういう点に不足があると、補えばいい。出発点なんてさっさと決めてしまえばいいのだ。調査対象と目的に応じ、どのようなテキストを選択するかは決めよう。文献の扱う分野が体系化され整理されてさえいれば、適切な候補をすぐ挙げられるはずだ。そういうブログ横断的な努力は為されていると信じる。
相関を取ったとして、その結果をどのように解釈するか。
調査というのはある程度、結論ありきでやるしかない。その結論を確認できなければ、前提からして考え直さなければならないが…結論を見こして用意した設問を手がかりにして、対策を考える。例えば「水からの伝言についてどこで知りましたか」という設問を用意しておいて、テレビや雑誌での接触が多く、ネットでの接触が少なければ、テレビでの周知が必要とか仮説を立てていく。ネットでの接触が多く、かつ科学的根拠があると判断する人が多く、ニセ科学批判の活動を知らない場合は、よりネット上での周知に工夫が必要。と仮説を立てる。設問項目を細かくして、ネットのどこで知ったのか、ポータルか、ブログか、ニュースサイトかなどの集計をとる必要もあるかもしれない。あまり設問が複雑になる場合は、別に切り分けて調査を実施する必要もある。
ニセ科学を批判するテキストを練ったりするのに手一杯
教科書の書き手が、出版社の営業や広報をする訳ではない。今後は分業の体制も必要になるだろう。しかしそうした人材を獲得するにせよ、立ち上げのときは誰もがニガテな分野でもがんばらねばならない。

あるニセ科学批判者の悩み
http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20090302/p1

持論だが個人的な体験は、あらゆる定量的データに勝る。ブログでの情報発信で、誰か1人でも悩みを切り開く役に立ったのなら、もはやいかなる批判も恐れるに足りない。なにものも外から、実績を動かせない。
逆にニセ科学で「救われた」と感じた人が、ニセ科学に対して抱く信頼もまた、それだけ強いものと言わざるを得ないが。

確かにネット上で有志が「ニセ科学」を非難することで、信奉者にとっては「ニセ科学を信じている自分」が否定され、愚かだとか、異常だとか病気だとかレッテルを張られる気持ちになる恐れはある。これはニセ科学批判・批判にしても、信奉者を愚か者呼ばわりするなら同じだ。

しかし、想像だけでリスクとベネフィットをうんぬんするのはよそう。これも聞き取り調査によって、信奉者側の主張を、特に信じることと疑うことのあいだで揺れ動く人の気持ちを知る必要がある。その重たい役割を担うのは誰かは考えたくもないが、しかし考える必要が…いやとてもそこまで責任は負えないな。正直いって私などの器をはるかに超えている。
結局は経験のある臨床心理士など専門家の意見を聞いてみるところから、始めるしかない。

【追記】2009/03/05
id:genb『「効果」は、ニセ科学批判者がその活動のはじめから議論すべきだったし』BETTERであることは解かる。しかしなぜMUSTなのかが解からない。

ニセ科学批判が、より強い説得力を持つために、客観的な証拠が必要だ。id:lets_skepticの個人的体験は、自らの活動にとって支えになるが、しかしそれだけでは、より広く一般の支持を得るには不十分だ。

調査によるニセ科学批判の「効果」検証というのは、とりあえず思いついたことを形にしようと思っているが、もっと適切な方法で客観的な証拠を示せればいいと思う。ぜんぜんMUSTではない。

例えば、id:HiromitsuTakagiGoogleストリートビュー問題で徹底した検証と問題提起をしたとき、「僕の記事はどのくらい効果があったかなアンケートしてみよー」というチンタラしたやり方はとらなかった(よね?)。しかしそれは一石となって、マスメディアを動かし、地方議会を動かし、弁護士会を動かし、国会議員を動かした。そのスピードはまったくもって凄かった。まだ終わっていないが…。別に組織でなくとも個人にパワーさえあれば、ブログで社会を動かし得る証明だ。その良し悪しについては人によって見方が異なるにせよ。

一連の検証と問題提起の記事には、はてなブックマークで「こんなことやって何の意味があるんだ?」というコメントが多数ついていた。しかしそうしたイヤミを、社会にさまざまな動きを促してみせることで、乗り越えてしまった。つまり、マスメディアがストリートビュー問題を取り上げたこと、弁護士会が動いたこと、地方議会が宣言を出したこと、一つ一つが高木氏の活動の「成果」、と言うと本人はどう思うか分からないが、確かな影響だ。

きっとGoogleストリートビューで、人々が受ける不利益というものが、非常に一般化されて受け手に伝わったからだと思う。
ニセ科学だって、もっとヒドい被害が出ているし、その不利益を一般化できないはずがないんだが…。

繰り返すがぜんぜんMUSTではない。