こりゃいかん

エントリ内容を変更しよう。

どうもこのあたりのブログサークルがさえずる「ニセ科学批判」は「被害者を救う役に立ってない」という批判に対して、「そんなこと目的としていない」が総意みたいだな…。

そこで「じゃ、一緒に役に立つ方法を考えよう」にいかないのは、根本的に「現実に行動を起こすのはめんどくさい」からだと思うが。上記エントリの誰?って質問に対してはオレオレと答えておこう。

ニセ科学信奉者を「説得できる」ってのは正直…まったく自信もないけど「しなければいけない。特に友達や家族だったら」というのはどうしようもない。…俺だってめんどくさいし、ただでさえ仕事はなくしそうだし。以前に知り合いを見捨てて逃げ出してからニセ科学者は恐いし、ニセ科学団体に直接吠え付くのはとてもできない。しかしそれでいいんだと自己正当化している訳ではない。正当化なんてできようがない。「予防に役立ってる」フリをして自分をだますだけのナルシズムも持ち合わせてない。

印象批判…これもメタとかとナウい流行語なんだろうけど、そいつでいかせてもらおう。

ブログでだらだらニセ科学批判を書いていれば、予防の役に立つというのは、定量的なデータや実例を示さなければ説得力がない。ニセ科学批判者がこれからすべき行動は(分かる。本当はただ遊んでたいだけで、実際のリスクを負う行動がキライなのは分かる。でも必要だ)、自分たちの成果を形にすることだ。

目的はいい。それは崇高なことだ。痛みのないヒマツブシから始まったとしても、成果がすべてを正当化する。
目的の次は「目標」だ。

本気で周囲への「予防」を考えている人には、どんなことができるだろうか?悪マニみたいに商法の手口をデータベース化して、参考に公開する。これはニュースをたんねんに読んだり、自分の回りに被害者がいればすぐできる。個人的なものは慎重にやらないと被害者を傷つけるし、自分の私生活も台無しにする。私はヘタレなのでゴニョゴニョで済まさせてもらってるが、本当に説得力を出すためには、少なくとも団体名や被害にあった日時、内容は公開しなければダメだな。うれしげにメタメタ連呼するアホが沸くだけだ。国民生活センターの巧みな公表文を雛型として利用するのが一番だろう。もちろん、これをやればニセ科学団体から睨まれるので、覚悟は必要だ。

やるとすれば徹底的に細かい事例を積み上げる。思い出したように散発的にやるのではだめだ。さらに2ちゃんねるで報告会をやるんじゃなく、もっと一般の人にとって閲覧しやすいサイト作りが必要だ。検索性や閲覧性に配慮する。つまりブログ形式はおすすめできない。もちろん既存サイトに参加するのであればハードルも低くなる。【追記】。具体例を増やして客観性を高め、さらにリンクを増やし、SEOを施すことでより有用になるだろうニセ科学批判者が、一つのポータルを持つことは目に見える「成果」といえるんじゃないだろうか。Wikiは誰でも借りられる。はてなにも似たような機能がある。え、オレがやれ?そ、それはちょっと…(目を逸らす)…。

NPONGOを立ち上げて独自調査を行い、結果をプレスリリースとして大手メディアに垂れ流す。各社とも情報収集の窓口はWebに設けている。採用されるかどうかは、団体のハクにもよるけど。まぁここまで熱心にやろうという奴はいないだろう。しょせん、ニセ科学批判者はただのヒマツブシでしかないから多忙な身の上だ。

仕事でも勉強でもそうだと思うが、「成果」がでなければ、信用や地位を勝ち取ることはできない。

あいまいに、「なんとなく予防の役に立つ気はする」「しないよりはするほうがいい」ではなく、短いものであれ目標を掲げ、そこに到達することを繰り返すことで、ニセ科学批判批判を乗り越えていける。

ニセ科学批判批判が腹立たしいのは分かる。「こんなに崇高な目的があるし、こんなに正しいのに、無意味とかいうな」
ってのも分かる。「無意味だと認めたら、建前上、次は意味のある行動をとらなきゃならなくなるだろ。めんどくさいよう」ってのも分かる。

しかし、考えてほしい。歴史上のいかなる社会運動も、最初はウンコみたいなテーブルトークで始まったのであり(いや根拠はないけど)、ヴ・ナロードってなに?おいしいのそれ?みたいな自己満足的集団が内輪でごっこ遊びしていたのだ。しかしそれはいつか殻を破り、現実を相手に戦い始める時期が必ず訪れる。

(ごめん、おれ就活だから次のセッションから抜けるわ…)
(オレも…うちのサークルも今年で解散だな)
(楽しかったけどなぁ…そうだ。俺たち就職しても、ニセ科学批判は続けような!)
(いいねぇ。月一飲み会とかで!)

あ、いやなこと思い出しちゃった。

ポータルを作って、そこに参加するということ、一つのテンプレートに沿ってニュースなり論説を発信すること。さらに、読者拡大のために、さまざまな宣伝の手を打つこと。つまり考えがそれぞれ違う個人が、集団行動をとるというのは本人にとってキモいし、ウザいし、メンドいし、「読者は検索して適当に見つけて読んでよ」という受け身の態度より疲れる。なんかいつのまにか自分たちがニセ科学団体と同じようなことやってるよな、とかプロ市民ぽくて好かんってのもあるだろう。

しかしそれは組織的な活動に共通する欠点で、組織というのはそういうウザさと引き換えに、「力」を持つ。

第一の目標。組織化せよ!

ニセ科学批判を組織化せよ!そして統一した活動方針を話し合って「明記」し、具体的な「目標」を設定し、「施策」「期限」を固め、「広報」にあい務めよ。

(それはジャーナリズムと役所に任せます)

…そうですか…じゃぁニセ科学批判批判と楽しく遊んでて下さい。すいませんでした。空気読まなくて…。

【追記】2009/02/27 あ、でも、やりようによっては、ニセ科学批判批判をしてる連中は、一部はニセ科学批判の陣営に取り込めると思いますよ。少なくともこの問題にまったく無関心な人よりもね。

…って、きっとぼんやり待ってても、このあたりのブログサークルのニセ科学批判者は「なぜブログでだらだら書く以外に何もしないのが正しいか」を延々と書き連ねていくだけなんだろうね。よし、じゃぁニセ科学批判の主要な推進者である菊地誠教授にメールで頼んでみよう。これで迷惑とか言われたら、色々終わっちゃってるよね。

【追記】2009/02/27

ヒマツブシときちんとした対策の違いは、「やりたくないことでもやる」かどうかと「つきあいたくない人ともつきあう」かどうか。きちんとした目標があれば、わりと元気も出るし、達成感が苦労を補ってくれる。

みんな仕事のうえでは分かってるはずなのに、ネット上のピーチクパーチクになると、すぽっと子供に戻ってしまう。
うーん。でもサッカーうまくなりたいときは、練習とかつらくないよね。
遊びだったとしても、子供なら真剣に、全力投球できるんだけど、いい年したオッサンは逆にそういう無我夢中にもなりきれない。

これが高校生や大学生ぐらいだったら、エキサイトして運動がどんどん飛躍して明後日の方に突撃してっても止まらないんだけど。
やっぱオッサンはだめだ。すっごい量の言い訳が出てくるだけなんだもん。