陰謀論について

■[メモ]朝日もお粗末 - Apes! Not Monkeys!
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20081101/p1
コメント欄を引用する。

まあ戦後生まれの団塊の世代が定年を迎えるというご時世ですから、あの戦争の個別のエピソードについての知識を誰にでも「常識」として要求しうるわけじゃないのは百も承知です。ただ、元空幕長の「歴史認識」を問題にする記事でこのミスが出ちゃったというのがある意味、象徴的ではなかろうか、と。元空幕長はなまじ情念があるからアヤシゲなネタを信じ込んでポストを失うことになったわけですが、多くのひとは、この記事にかかわっている記者たちも含めて、単に情念に支配されてないからトンデモに引っかからずにすんでるだけちゃうんか、と。そこのところを危惧するわけです。
強調は私が書き加えたもの。

上記のような見解について私は、疑問を覚える。陰謀論にせよトンデモにせよ疑似科学にせよ、それらを唱えている本人が信じている必要はない。

例えばだ。

「米国同時多発テロにはターリバーンが深く関与しており、テロ撲滅のために同勢力を打倒せねばならない」
「モスクワ連続爆破テロはチェチェン独立派が深く関与しており、テロ撲滅のためには同勢力を打倒せねばならない」

というのは、極めて疑わしい主張だが、喧伝した米国なりロシアなりの政府首脳が、果たしてこうした主張を心の底から信じていただろうか?私はそうは思わない。かかる牽強付会をする理由はひとえに、ある組織なり党派なりが、その主張によってなんらかの目的を達するためであり、個人の情念は二の次である。

その主張そのものの誤りを検証し、指摘するのは大切だが、同時に、誰がなぜそれを唱えているのか、唱えることでどんな利得があるのかも、常に考えなくてはならない。もちろん、あらゆる主張を「立場から来る発言」として見ると、主張の中身について十分に吟味しなくなる危険はある。
しかし相手がウソを信じているか、それとも便利なウソだから使っているのか。そこはよく見極める必要がある。

ともあれ、自衛隊の高級幹部の発言を情念からくるものと、とってしまう人がいるのも、戦後生まれの団塊の世代が定年を迎えるというご時世が…。

id:finalvent大先生いわく「私的セクター」だしね。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20081102/122558241
こういうのって、ある種の純真さ?みたいのは感じるけど。こういう素直な主張は、書いてる本人も心から信じてるんだろうなー。と思うことに何の疑いも持たないんだけど。

そうだな。ブロガーについてだけいえば、後から「あれは釣りだった」とかって誤魔化すときでさえ、割と正直に心情を綴っているな。実のところ、ブロガーのそういう所は好きだ。我々は日常生活で、信じてもいないゴテゴテしたウソを吐き続け、同じような他人のウソを聞き続け、いつも相手の底意を探りながら生きている。でもネット上では、本音がむきだしで存在して、それは、いずれ失われてしまうだろうけど、私は好きだ。そうでないと窒息してしまう。