社会ファシズム論批判

以下のブログで読んだことをきっかけにして、
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080910/p2

現代思潮社トロツキー選集「社会ファシズム論批判」に目を通している。
題名は日本人編纂者がつけたもの。内容はフランス語からの重訳とあって、不安はあるが、勉強にはなる。

「次は何か」西島栄訳(英語版からの重訳)として、ほぼ同内容がネットで読める。
http://www.marxists.org/nihon/trotsky/books/d-s/mokuji.htm

スターリンの最大の政敵トロツキーは、ナチス(ドイツ・ファシズム政党)について、同党が困窮する小ブルジョワジー(中間層)を支持基盤とし、労働者組織の破壊を目的としている以上、労働者組織を基盤とするドイツ社会民主党とは相容れないとして、「社会ファシズム論」を否定した。そしてドイツおよびソ連共産党に対し、ドイツ社民党と対ファシズムの統一戦線を張るべきと訴えた。ただしファシズムの一掃後は、ドイツ共産党がドイツ社民党支持の労働者組織を取り込み、社民党を打倒するという前提のうえでの主張である。ナチスが労働者組織を破壊してしまえば、取り込むべき支持基盤そのものがなくなってしまう、という。
なおこれらのトロツキーの著作は1930―33年、ナチスによる絶滅政策が明らかになる前に書かれた。

トロツキー社民党を政治的信念から嫌っているが、ドイツ共産党が復讐心から、よりによってファシズムの伸張するさなかに社民党打倒に動くのは間違っている、といさめている。…しょせん部外者の意見ともいえる。ドイツ社民党は、ルクセンブルクやリープクネヒトを殺害した民兵(フライコール)の後援者ノスケをはじめ、ワイマール共和国の存続中、折々ドイツ共産党の弾圧に大きく関与した。社共は宿敵ともいえた。ドイツ共産党プロイセン州の社民党政府を打倒するための人民投票でナチスと共同戦線を張り、これが当時トロツキーによって、社会ファシズム論の最悪の結果の一つとして非難されている。ところで社民党政権と協力関係にあったドイツ国防軍は、スターリン政権下のソ連と秘密裏に協力して、ソ連領内で毒ガス兵器の開発に取り組むなど、当時の協力・対立関係は単純ではなかった。

また近年の研究によれば、ナチス経営組織細胞(NSBO)は労働者組織の一部機能を代替していた。
ナチスの目的が労働者組織の破壊ではなく、再編であるとすれば、トロツキーの指摘は的を外している。
ナチスが果たして幅広い労働者組織の支持を持たなかったのか、という点に関してはNSBOについての概説書を読んでみたい。

ちなみに、ここからはあくまで私のロマン的感想(妄想)で、牽強付会に結論にとびつくが、一国社会主義国家社会主義が最終目標を異にしていたとはいえ、形態として良く似た部分を持っていたのではないだろうか。スターリン政権が主にドイツ社民党を指す用語として振り回した「社会ファシズム」とは、その意味するところを正確にとれば、スターリン政権そのものではないだろうか。大粛清に優生学の要素が掲げられなかったとしても、強制移住政策に独特の民族観が政府方針として示されたのはいうまでもない。またレーニンからスターリンが受け継ぎ、拡大した「富農階級の絶滅」という方針は、絶滅(排除)政策が必ずしも民族や社会的弱者に関してのみ提唱され、実行される訳ではないことを示している。(そもそもナチス・ドイツの絶滅政策においてもユダヤ人も社会的弱者として形容された訳ではなかったけれど)。スターリン政権の富農絶滅のやり口は、残酷、苛烈をきわめた。毒ガスと比較して直接的に命を奪わなかったから、絶滅政策と呼ぶにはあたらない、といえるだろうか。

追記:

id:munyuu トロツキーが1930年代にナチスファシズムと呼び、スターリンが「社会ファシズム」として槍玉にあげたドイツ社会民主党との違いを力説している以上、あなたの「1943年〜」という主張は単なる勘違いだと思います。しかしそれよりも、ナチズムをファシズムと区別したがる考え方に興味があります。ナチスに肯定的価値を見出しているなら、ファシズムを忌避する理由はなんですか。