「児童ポルノ」の拡大解釈について独白

やがて、インターネットの「論客」たちも、いいかげん問題の深奥にあるのが「子供の保護」ではなくて、「宗教的道徳の布衍」だという認識に達するだろう。

そして、日本ユニセフ協会とがっちり手を組んだ嬌風会だけでなく、背後に控えたキリスト教組織の力の大きさと、その方針を無条件に受け入れる日本の議員やジャーナリストたちのお気楽さに愕然とするだろう。

もしあなたが、これから日本で始まる終わりのない表現の統制に順応できない、私のような人間なら、慰めとして次のことを覚えていて欲しい。海外のキリスト教組織は、日本の漫画やアニメやゲームを心底恐れていたのだ。成人向けと非成人向けとを問わず、作品のインモラル性、破壊性、タブーを意識せずふみこえる過激さが、それぞれの国で読者や視聴者に認められたとき、既成の道徳的権威がガタガタに瓦解する恐れを、宗教組織はよく認識していた。

「日本コンテンツ」潰しというのは、経済の得失だけではない。宗教組織にとって、それは自らの存続にもつながる問題で、無邪気な日本人が考えるよりはるかに重要だった。

全世界で宗教による思想統制の嵐が吹き荒れている。プロテスタントだけでなくカトリックも、今の教皇になってからさらに反動の傾向を強めた。イスラムは言うに及ばず。無風状態の日本で発達した「頽廃文化」は、そうした保守化の流れを変えるだけの潜在能力を秘めていただけに、憎まれた。

ちなみに、ロシアは共産主義だったから、キリスト教組織が弱いなどと言う思い込みは、まじめにとるべきでないだろう。日本と同じような国は、ない。もし日本の「退廃的」人間が同志を見出せるとしたら、宗教の嵐が吹き荒れる国で、押さえつけられている「退廃的」人間を探すべきだ。どんな国だって、息苦しさに辟易している連中はいるのだ。

だが、我々がぼんやりしているあいだに宗教組織は徹底的に統制をやるだろう。宗教に幻想を抱くな。日本の文化の根底にあるものを、彼等は決して認めない。許さない。

「じゃぁ源氏物語もだめじゃん。あれロリだろ?」
然り。彼等は源氏物語も否定する。
雨月物語なんてホモじゃん」
然り。彼等は雨月物語も否定する。

正面きって潰すのが難しければ、はじめは、物語をねじまげる。
「子ども生向けには、適切な編集版を」
次には、原典を封印する。「素晴らしい作品ですが、当時の文化的背景から、子供の略取や異常性愛が正当化されています。原典を公共図書館や一般の書店で簡単に子供が手にとれるようにしておくのは問題ではないでしょうか。適切な場所で管理し、購入や閲覧は認証制にすべきです」

私のコトバが陰謀論に聞こえるか?誇大妄想に聞こえるか?
もちろんそうだ。
だが…。
恐らく、現実はもっと、ゆっくりと、ありきたりな日常のうちに
その誇大妄想を超える狂気を進めていくだろう。

常識だとか、理性だとか、そんなもの、何の役にも立たない。
燃え盛る炎の車輪がすべてをゆっくりと潰していく。

だが、大半の人は順応する。そして日常は続いていくだろう。
宗教的道徳の支配の下で。