ニセ科学批判ブームが過ぎたあと

どんな話題にも必ず波はある。人々の注目を集め、口の端にのぼり、耳にした誰しもが、その分野の半可通になる時期が。

もちろん話題がどこまで広がるかは時と場合によって異なる。とある小学校の中だけに限られたり、ちっぽけなブログサークルでコップの中の台風みたいにやかましくなったり、…あるいは一国をまるごと巻き込んだり、全世界が騒然としたり。一つ共通しているのは、旬を過ぎると、話題はすっかり下火になってしまうという点だ。

だからこそ、さまざまな団体が、自らにとって都合のいい話題が盛り上がった機会を逃さず、目的達成ののために利用しようとする。今なお苦しい状況にあるパレスティナで、イスラエル軍による白燐弾砲撃があった際、欧米で禁止運動が激しくなったのは、単にむごい被害に対して各国民が怒っただけではない。そうした運動を盛り上げようとする個人や団体が、機に臨んで行動したからだ。

ネット規制だって、なにか殺人事件が起こると、国や一部の宗教団体が巧みにそれを理由に推し進めようとする。卑怯だとか、ずるいというのは…確かにその通りだが、しかし一つの確立された手法だ。

しかるにニセ科学批判はどうだろうか。今は、一つのブームとして、多くの人々が参加している。
もちろん、それを盛り上げるために、努力した人々がいるのは分かる。

しかしそれで?

あるブームを利用して発言したり、活動したりする個人や団体は普通、明確な目標を持っている。
ぼんやりと「こういう考えを優勢にしたい」ではなく、ゴールが見えているということだ。
チャンスが限られていること、今の状態が永遠に続いたりはしないことを分かっているからだ。

今のニセ科学批判は、サッカーにたとえるなら、ボールの支配権を大事にしてパスを回しまくりながら、蹴り込むべきゴールがまったく見えていない状態だ。「こうしてうまくボールを回していけば、俺たちは優勢なんだよ。どんどん優勢になるんだ」と言い合っているが、試合時間も、選手のスタミナも、観客の興奮も、スタジアムのスポットライトも、永遠には続かない。

さらに悪いのは、選手が敵チームの方を向かず、観客席で「もっとかっこいいプレイをしろ」とか「ひっこめルーニー」とか言ってるフーリガンにむかって威嚇をしているだけだってところだ。

とはいえサッカーと違って、このゲームはゴールを作り出せる。
君等が持っている「読者の関心」というボールは君等が作ったゴールに蹴り込める。